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料理家
生活
廣朋子
料理家

母だったからこそ、経営ができた

7年間自身のお店を経営していた廣さんは、十代の頃から飲食業に携わりながら、飲食のプロを目指し、いつか店が持てたらと考えていた。そんな時、チャンスが訪れる。

親からの、空き店舗があるから店を出してみない?

という言葉だった。

半年間、周りの助けを借りながらも手作りで店を作った。赤ちゃんを寝かしつけてから壁を塗りに作業に出ることもあったそうだ。

最初の頃はカフェバーだったが、何千何万もの店舗の中から選ばれる店になるには、特異性が必要と考え、当時名古屋にはほとんどなかったアジア料理をメインとするお店にスタイルを変えた。

その頃から何度もアジアに出向いては現地の料理を見て食べて学び、店に訪れる人々を次々と魅了する料理を生み出していった。

しかし女手ひとつで子供2人を育てながらのお店の経営は本当に大変だったという。だが、料理を食べてくれるお客さん、そして何より守るべき子供がいたからこそ頑張れた。

食の表現が人をつなぐ

現在廣さんはお店のお客さんたちの要望により自宅で料理教室を開催している。 それだけでなく、様々なところから料理を作ってほしいという要望が絶えない。

「食」というひとつの表現により廣さんの周りには沢山の人々が笑顔でつながっている。

「自分が笑顔でいられる生き方をしたい」と語る廣さんは、子供との大切な時間を優先しつつ、こ れからの目標にゆっくり取り組んでいくそうだ。