どこかなつかしい夕焼けのような赤。
手のひらを太陽に透かしたときに見える温かい赤。
斎藤さんの絵はそんな赤でいっぱいだ。
自らが「赤絵」と称する、強烈な赤を基調とした
郷土・三河の風物を画題にした作品は、
世界各地で人の心を動かしている。
絵を通してふるさと三河西尾を
世界に発信しつづけている画家
斎藤吾朗さんにお話をうかがった。
夢にまで見たパリをスケッチしてたんだけど、2ケ月くらいたってセーヌ川で自分が描いた100枚以上の絵を見てたら、誰かの絵にそっくりでね。ユトリロとか、佐伯祐三とか、パリを描いた絵描きの絵によく似ていて。そこに自分の絵「斎藤吾朗の絵が無い」と気がついた。「絵とは何だろう?人生とはなんだろう?」と悩んじゃって・・・。
「絵とは何ぞや?」っていう旅をしようと思って、北欧からスペイン・イタリア・アフリカをまわった。そこで馬車に乗ったり、馬に乗ったりして描いた。
ある時野宿をして砂漠で寝てたら、盗賊に捕まってしまって。盗賊たちは最初すごく怖そうな顔をしてたんだけど、絵を見出したら「絵を描く奴に悪い奴いないよな」と急に優しくなった。あっ、絵ってのは力があるな、荒れる心を優しくする力があるなと感じた。そうしてパリに戻ってまた絵の勉強をしようと思ったんだ。
けれどもお金がなくなっていて、あと2〜3ヶ月くらいしか居ることができないし、日本に帰る前に母親へのお土産にルーブル美術館に行って何か絵を模写しようと思ってね。
私の母は多分「モナ・リザ」しか知らない。「モナ・リザ」を模写して帰ろうと。受付に行ってフランス語で「モナリザを模写させてください」と言ったら、いきなり受付で切符を売っているお姉さんが笑い出して。発音が悪かったのかなと思って、また「モナリザを模写させてください」と言った。周りの人まで笑い出したので悔しくなっちゃって、意地でも模写しようとそこに座り込んだ。
あの手この手でお願いしたら、2週間くらいたって副館長に「おまえムチャクチャな奴だなぁ。お前には負けたよ」ってことで特別に許してくれて。
モナ・リザの模写でいちばん苦労したのは口元。口元をちょっと変えると泣いたり怒ったり困ったりする顔で。こんな豊かな表情をする女性はダ・ヴィンチにとって誰だったんだろうと思って。恋人かな、奥さんかなと考えるんだけどダ・ヴィンチは結婚してないので、やっぱり最も身近な女性「お母さん」に違いないと思って。
それにバックに山とか川が描いてあって、その風景がダ・ヴィンチの生まれたヴィンチ村の風景にそっくりだったのね。あっこれはお母さんとふるさとを描いた絵だと思った。そしたら、自分もパリまで行ったんだけど、日本の愛知県の三河の西尾の母とかその辺の人々を描くのが自分の絵なんだと気がついた。
それまではゴッホのような絵を描こうとか、ダ・ヴィンチのような絵を描こうと思っていたけど、結局、日本の身近なものを描けばいいんだということをね、モナ・リザを通してダ・ヴィンチが教えてくれたような気がして。500年前のダ・ヴィンチに教えられたわけですから、私は「時を超えた弟子」だと思っています。
模写したモナ・リザを持って日本に戻ってきたのは、夕焼けがすごく綺麗な日でね。それと、足元を見たらこの辺は赤土が多くて、パリは黒い土が多くて。それと、ちょうど2月に戻ってきたんだけど、三河は火を使った火まつりがとても多いところで、この辺は赤が多いなぁと。
それにやっぱり、赤というのは命の色だと思って。私たちの体に中で燃えている血の色も赤だし。こういう赤を意識して描き出したら、いろんな国から「展覧会やらないか」って。 結局、ヨーロッパみたいな絵を描いているうちは賞をもらえなかったんだけど、ふるさとを描くようになったらいろんな所で賞を頂いて、いろんな外国からも声をかけられて。
高校時代からの自分の夢をそのまま追いかけて、今も追いかけていて。高校時代とまったく同じ生活で、起きたら絵を描いてって。そういうちっとも変わらない生活をしてるんですよね。年は取りましたけど昔よりたくさん絵を描いています。